思考の墓場 サルガッソー

思考は宇宙気流に乗り、移動性ブラックホール「サルガッソー」へと流れ込む。

宗教に見る性の変遷 ~第1回 古代蛇信仰と性~


…というわけで、書いてみました。そこそこ長ったらしいレポートだったので、2〜3回に分けてお送りしたいと思います。高校レベルの日本史に毛が生えた程度のものですが、興味のある方はどうぞお付き合いください。


はじめに

 現代社会における深刻な問題のひとつとして、「性の乱れ」*1が挙げられる。快楽や金銭を目的とした不純異性交遊、望まない妊娠、そして右肩上がりに増加するSTD*2患者数など、この問題は取り返しのつかないところまで深刻化している。

 生殖行為*3とは、生物が種の保存の為に本能的に行う行為である。精子と卵子が融合し、新たな生命を作り出す。この生命誕生のダイナミックなプロセスを担う生殖器は、強い力のあるものとして信仰の対象となった。これが「生殖器崇拝」である。現在も、男性・女性の生殖器を模った石などを御神体として祭っている神社が日本各地に数多く存在する。力あるものとして畏れられ、信仰の対象となった生殖器、そしてこれに象徴される性が、現代において何故かくも貶められてしまったのか。この問題に宗教学的な観点からアプローチしてみたい。


生殖器崇拝の誕生

 生殖器崇拝とは、「生殖器に出産・成長・豊穣などをもたらす呪力を認め、呪術的な働きかけを行うこと」である。

 古代日本人が信仰の対象として最初に選んだのは「蛇」であった。その理由は、蛇の脱皮が永遠の命と新たなる生命の誕生をもたらすものと考えられたと推測される。この現象に大きな関心を持った古代日本人は、その現象を何らかの形で模倣し、自分たちのものとして取り入れようと試みた。これについて次のように述べられている*4

・・・・神祭の中にこの真似を取込んで、ミソギ(身殺ぎ)をしたと私は推測する。ミソギこそは古代の日本哲学の基本である。

 この蛇信仰は、縄文時代中期に縄文土器の模様として登場する。生々しく活力にあふれた蛇の造型が、この時期の縄文土器の特徴だったのである。この様な細やかな造型を施すことができたということは、縄文人たちは信仰対象である蛇をよく観察していたのだろう。しかし智力の不足から、縄文人による蛇の生態の把握は現代に比べ大雑把なものだったと考えられる。これはつまり、蛇が信仰の対象となった理由もその生態の基本的かつ印象に残るようなものであったということを意味している。それでは、古代日本人は蛇の生態のどのようなところに魅かれたのだろうか。考えられる理由としては、

  1. 蛇の形態そのものが男性器を思わせるものであったため。
  2. 蛇はねずみの天敵であり、人間の生命の糧となる食糧を守る存在であったため。
  3. 蛇は猛毒を持ち、その毒によって人間の命を奪うことができる。蛇の毒によって命を落とすことも神の仕業と考えられたため。
  4. 蛇は強靭な生命力を持ち、その脱皮は生命の再生を表すと考えられ、永遠の命という憧れの的となったため。

以上4点が挙げられる。


 縄文時代中期には未だ稲作が伝来していないので、縄文人の食生活は狩猟・採集という極めて不安定な手段によって支えられていた。縄文人の平均寿命は30歳前後で、新生児のうち半数以上が幼くして亡くなっていたと思われる。こうした点から、縄文人は生命を生み出す性行為や生殖器に対して強い信仰心を持っていたのだろう。蛇を模った縄文土器の模様の中には、2匹の蛇が性交を行っている場面を表しているものもあるが、これはヘビの激しい性交が、狩猟・漁労・採集の対象となった動植物の繁栄、つまり豊穣の大地をもたらすエネルギーの源泉であると考えられていたからではないだろうか。
 したがって生殖器信仰は上記の理由 1. および 4. を背景として成立したものと考えられる。こうした蛇に対する強い思いは縄文時代に限ったものではなく、その後の日本の諸文化に少なからず影響を及ぼしている。


 今回はここまで。次回は「古美術と性」について書きたいと思います。


*1:#乱れ

*2:Sexually Transmitted Diseases、性感染症

*3:セックヌ!

*4:吉野裕子,1979,『蛇 日本の蛇信仰』,法政大学出版局