思考の墓場 サルガッソー

思考は宇宙気流に乗り、移動性ブラックホール「サルガッソー」へと流れ込む。

宗教に見る性の変遷 ~第3回 古代美術と性②~

 続き物ですので、初見の方は以前の記事からご覧ください。
    宗教に見る性の変遷 ~第1回 古代蛇信仰と性~
    宗教に見る性の変遷 ~第2回 古代美術と性①~


仏教の流入と性意識

 土偶や石棒による性崇拝は、妊娠という生命発生の現象に超自然的な力を見出した、一種のアニミズム*1であった。この超自然的な存在は、6世紀に大陸から伝わった仏教により仏像という形でその姿を表したのである。仏とは真・善・美の三位一体の存在であり、それを表す仏像は地上最高の美男美女であったため、仏像美女に恋慕する物語も書かれたという。これについては『日本霊異記』などが有名である。その後の弘仁・貞観文化期では写実的な女性美の表現が追及され、鎌倉期の裸体像制作に至る機運を生み出した。
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法隆寺金堂釈迦三尊像(左)、広隆寺半跏思惟像(右)

 鎌倉時代には運慶、湛慶、快慶という大彫刻家の出現や、浄土教*2の普及によって地蔵菩薩の尊信とその仏像作成が盛んになった。裸体像は、男性像は地蔵菩薩を、女性像は弁才天をモデルとして作成され、性器は精巧に作られており、またその裸像は全て衣服をまとった状態で祀られている。
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六波羅密寺地蔵菩薩坐像(左)、宇賀弁才天坐像(右)


なぜ、裸体像に衣服を着せたのか?

 もともと神や仏は人間の遥か上位にいるものであり、超自然的な存在として恐れられ、崇められていた。彫刻技術の発達はこの神仏を実際に五感で感じることのできるものにし、さらにそこに人間味を加えることを可能にした。つまり神仏に「服を着る」という、現世において人間の生活の一部を行わせることによって神仏が人間に近い存在であることを強調し、人々に親しみを感じさせたのである。現代でも地蔵様に赤い前掛をつける風習が残っているが、これも同様であると考えられる。つまり、裸体像作成は必ずしも好色的な動機のみが働いているわけではなく、雲の上の神仏が仏像という形で現世に降り立ち、世俗の中で人間に精神的な安らぎを与えていることを具体的に表現したものなのではないだろうか。


密教の伝来による性意識の変化

 仏像に性的な要素が現れ始めたのは弘仁・貞観文化期だが、密教の伝来と同時にそれはますます色濃くなっていった。密教はインドで大乗仏教のきわみに現れたもので、インド神話に登場する神は日本に伝わると形を変え、仏として信仰された。大聖観喜天や毘沙門天もその例で、これらの仏像は双身像*3、つまり円満和合から施福の神として信仰を得ていたという。また七福神の一人である大黒神はもともとインド神話のシヴァの一化神で、このシヴァの偉大はリンガ*4で表される。大黒神の像は頭に帽子をかぶり、袋を背負って槌を持っているが、この頭部がリンガを思わせ、頭に帽子をかぶっていない古い大黒神は、右手に槌を持つ代わりに女握り*5の形を表している。大黒神は人々に幸福をもたらす神であるが、その起源はセックスと非常に深い関係にあることが分かる。
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女握りをする大黒神(福熊野那智大社青岸渡寺

 ここまでは仏像美術の歴史について簡略に触れてきたが、仏は機能神として人々の信仰を得ると同時に、その姿(=仏像)はその時代に生きる人々の精神を強く反映しているものであることが分かる。大黒神はこれの最も良い例である。歴史の流れを垣間見る限り、日本人の生殖器および性に対する信仰心は、衰えることなく続いていると言っても良いだろう。

 今回はここまで。次回で最後です。




「なんて罰あたりな!」と言われるかもしれないが、もうそういう目でしか見れない。

*1:生物・無生物を問わず、全てのものの中に霊魂が存在するという考え方。

*2:阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。

*3:陰陽仏、もしくは獣頭人身の神像。ケモナー歓喜。

*4:インドのヒンドゥー教で崇拝される男根形の石柱。

*5:親指を人差し指と中指の間に入れて握ることで、女性器を表す。