宗教に見る性の変遷 ~第2回 古代美術と性①~
前回の続きです。未読の方は第1回からどうぞ。
美術史に見る性意識の変化
はじめに
第1回で述べたように、蛇信仰は日本人の精神の根底となり、現代まで生き続けているものである。つまり、そこから発生した生殖器信仰も何らかの形をとって続いてきたものと考えることができる。性行動は生物の本能的なものであるから不変だが、性への解釈はその時代の思想や環境、制度、法律などの影響を受けて変化してきた。この変化の過程を見るには、古代美術史を紐解くのが最も有効な手段であろう。理由は以下の2つ。
- 美術品はその時代の風習や思想を反映しているものが多いこと。
- 漢字の伝来は4世紀半ばであり、それ以前の風習を知るためには書物に頼ることが困難であること。
以上の観点から第2回では、美術の歴史を追うことで各時代における人々の性に対する考え方の変化を見ていくことにする。
原始宗教時代の美術品
日本美術史の幕開けは縄文土器の登場である。これは低温で焼いた素焼土器で、表面には蓆や縄目の痕が多くつけられている*1。縄文人はこの土器と共にそれまで用いてきた石器 (打製石器、磨製石器) や骨器、木器などを併せ、狩猟や漁労で生活を営んでいた。これらに混ざって多く出土するのが土偶である。
様々な土偶。乳房のふくらみがしっかり表現され、妊婦のように腹部が大きく膨らんだものもある。
この土偶には男女両性のものが存在するが、女性型のほうが乳房や性器などの特徴が明確であり、また出土する数も男性型のものに比べ、圧倒的に多い。この理由として考えられるのは、古代日本において女性崇拝が行われていた時期があったということだ。『魏志倭人伝』に登場する女王卑弥呼は、その呪術によって混乱する邪馬台国を治めた、という話はあまりに有名であろう。卑弥呼の死後、男王をたてるが国はうまく治まらず、結局卑弥呼の血を引く壱与を女王としてたてたという記録が残っている。このことから、女性が圧倒的優位に立っていた時代が存在していたことが分かる。土偶による女性崇拝もこの影響であろう。
その後、信仰対象は女性から男性へと変わっていく。これは女性の妊娠という現象が男性によってもたらされるという誤った見方から発生したものと思われる。ここで登場するのが石棒である。石棒とは円い棒状の磨製石器で、長さは60cmから長いもので180cmもあり、両端無頭のもの、一頭のもの、両頭のものがあり、頭部には装飾模様が刻まれているものもある。
石棒。どう見てもtntnです本当にありがとうございました。
この用途としては農具、護身用武器、集落における首長の権威のシンボルなど様々なものが考えられるが、宗教具という説がもっとも有力であろう。その理由は以下の3点。
- 棒状の形態が陰茎を、また頭部が亀頭を連想させるため。
- オーストラリアで発見された同種の石器が宗教具として扱われていたため。
- 石棒の側面には縦に細長い傷跡があり、これが割礼の痕跡であると考えられるため。
このように、女性中心であった社会が男性中心のものに移り変わり、それとともにファシリズム*2が信仰の中心になっていったのである。
長くなりそうなので今回はここまで。次回は仏教美術の隆盛について書きたいと思います。