日本の化学教育がエラいことになってたという話
最近、とある教育関係者(以下、先生)とお話をする機会がありました。そこで熱弁されたのが、
「日本の化学教育が危ない」
というお話でした。
一体何が起こっているんです?
事の発端*1は、某有名予備校の講師が書いたという高校化学の参考書*2。お借りしてパラパラめくってみたところ、予備校の参考書らしく、高校で学ぶ化学の重要次項についてページの隅から隅までびっしりと文字で埋め尽くされていました*3。「まあ普通の参考書ですよね…?」と僕が口を開きかけたところ、その方はやや激しい口調で、「その付箋のついているところを見てくれ」と一言。指定された部分を見ると、酢酸の酸解離定数 Ka に関する部分でした。丁寧に化学反応式も記載されていましたが、その式の中に見慣れた矢印が…。
僕「あれ、最近の高校生って有機電子論*4を習うんですか?」
先生「まあそうなんだが…その矢印、おかしくないか?」
※画像はイメージです。
・・・ん?
んんん?
なんだこれ?!?!?
矢印の向きが全く逆じゃないか!
有機電子論における「曲がった矢印」(図中の青い矢印)は電子対の移動を表します。この場合、電子が豊富にある酢酸アニオン(陰イオン)の非共有電子対から電子の不足した水素イオン(陽イオン)に電子対が移動する事によって、もとの酢酸に戻らなければなりません。非共有電子対を持たない、正に帯電した(=電子の不足した)水素イオンが矢印の起点になる事があってはならないのです。したがって正解*5は、
僕「…これはひどいですね。もしかして全部逆になってるんですか?」
先生「いや、実はそうじゃないところがイヤラシいんだよ…」
酸性条件でエーテル結合を加水分解する反応の場合、以下のように正しい向きの曲がった矢印が描かれていました。どうなってんだ?
先生「芳香族の求電子置換反応なんてもっとひどいぞwww」←このあたりからノリノリになってきた
ここまでくると、もはやギャグです。この参考書の著者は有機電子論の「ゆ」の字も知らないのに、受験生にエラそうに有機電子論でモノを考える事を教えようとしているのです。
こいよ受験生!有機電子論なんて捨ててかかってこい!
この惨状をどうにかすべく、既に教育機関への働きかけを行っているとの事でした。大変信頼の厚い方なので、いずれこの状況は改善されると思います。
別れ際、先生はこう言いました。
「もし君が高校生に化学を教える機会があったら、こう伝えてくれ。『有機電子論なんて覚えなくても良い。教科書を隅から隅まできちんと読め』と。」
そうなんだ…でも知りたいな、有機電子論のこと…
「有機電子論なんて大学受験には不要!」という話の流れになってしまいましたが、実際のところ、みなさんはどう思いますか?
化学を学ぶ高校生の中には、「化学=つまらない暗記教科」という考えを持ってしまっている人が少なからず居るのではないかと思います。確かに有機電子論を知らず、「電子軌道論?なにそれおいしいの?」状態で化学反応を理解しようとするのはかなり難しく、結局は教科書や参考書の丸暗記に走る人が多くなってしまうのも事実だと思います。
高校生に対して電子論を使って有機化学反応を教えたところ、半数以上の生徒が「有機電子論は使えそうだ」と答えたという報告もあります。
終わりに
電子論や軌道論を教えるのに必要な授業時間や教師側の知識、生徒側の理解力を考慮すれば、電子論を無視して暗記させる事は決して間違いではないと思います。また、有機反応を簡単に覚えさせるために電子論を教える事が悪いとも思いません。しかし、
「教えるなら正しい事を教えてもらいたい」
私は心からそう願います。
追記1: 問題の参考書の著者は旧帝大の工学博士だった…どうしてこうなった…
追記2: アフィリエイトの参考書は今回取り上げたお話とはまったく関係ありません。誤解を招く形になってしまい申し訳なく思います。
追記3: 一部に誤った表記がありましたので修正しました。申し訳ありません。
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